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保護者インタビューまなざし#38 生きることは愛

まなざし#39「生きることは愛」 レイさん(40代 東京都)

心筋梗塞による後遺障害を抱え、幾度も生死の危機に直面する夫と、ガンが見つかり治療・入院が始まった実父。レイさんは突然、2人の介護に忙殺されることになった。家計は悪化し、娘の高校の学費が払えない。公的支援に頼ろうとしても支援制度のはざまに陥って、振り回されるばかりでたどり着けない…。数々の困難に立ち向かってきたレイさんにお話を伺った。

 

※1 あしなが育英会の奨学金制度は、病気・災害・自死(自殺)により親を失った子どもと、親が障がいで就労困難な状況にある家庭の子どもを支援しています。2025年度に本会が行った高校奨学生調査によると、奨学生世帯の貧困率は53.5%に上り、なかでも、障がい者世帯の困窮度が極めて高いことが明らかになりました。

生きていることが奇跡

自営で建築の仕事をしていた夫が心筋梗塞を起こしたのは、2019年の1月だった。しかし、本人も周囲の人も、すぐにはそのことに気づかなかった。異変を感じたレイさんが、渋る夫を無理矢理病院に連れて行き、ようやく診断を受けたのは、発症から3か月も経った4月のことだった。 

 

「当時、夫が請け負っていた仕事はかなり過酷で、人手不足や退職者が相次いだことから、夫は週末も夜間も休みなく働いている状態でした。半年前の健康診断で全項目A判定だった夫は、12月の1ヶ月間だけで体重が6~7キロも落ち、息切れや倦怠感、体調不良を訴えるようになっていました。顔色が青白く、気絶することもあったので、無理矢理に病院で受診させたのです。結果として心筋梗塞の痕跡がみつかりました。1月に心筋梗塞を発症しながら、3か月間も建築現場での重労働ができていたことに、医師たちも大変驚いていました」 

 

過去に起きた心筋梗塞の痕が残っている状態を「陳旧性心筋梗塞(ちんきゅうせいしんきんこうそく)」という。医師の話では、夫の身体は筋肉質であることが幸いして、心臓周りの筋力と足の筋力で血液が心臓に送られていたらしい。調べてみれば、心筋梗塞によって心臓は壊死(えし)し、肺には水が溜まった重篤な病状だった。

 

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※イメージ画像

制度のはざまで、学費の工面に四苦八苦

長期の入院に手術と、出費がかさんだうえに、休業を余儀なくされ、家計は一気に悪化した。高額医療費制度を利用したが、支払った分がすぐに返ってくるわけではない。そのうえ、当時のレイさんたちは、埼玉県在住ながら隣接する東京都の病院を利用していたため、他県対応により還付手続きに時間を要した。4か月もの間、立て替えなければならず、経済的な余裕は全く無くなった。 

 

「住んでいた市が東京都に隣接していたので、都内の病院を利用する方が便利だったのです。同じ理由で、長女も都内の私立高校へ通っていました。長女は同年4月に高校2年生になりましたが、進級時点で学費が払えませんでした。頼りにしていた国の『高等学校等就学支援金制度(家計急変支援)』は、“居住する埼玉県の高校に通っていれば使えるが他県の高校は対象外”、と言われて利用できませんでした」 

 

それではと、東京都内に引っ越しすると、「前年の住民税を払っていることが前提なので、利用できない」と伝えられた。長女の在籍する学校も、文部科学省や埼玉県に掛け合ってくれたが、学費の公的な支援にはつながることができなかった。 

 

他の公的な助成金や奨学金を申し込もうとする度に、様々な障壁や理由があって利用に至ることができない。レイさんは、自分たちが制度の隙間に滑り落ちているような、無力感と絶望感にさいなまれた。

 

夫の入院と時を同じくして、実父がガンを宣告され、入院治療が始まった。レイさんは2人の介護に忙殺された。隙間時間をみつけては、支援を求めて役所や関係各所を駆け回ったが、これはレイさんにとって神経をすり減らす作業だった。何とか、埼玉県と地元の銀行が提携している貸付制度を利用できることになったが、その手続きも簡単ではなかった。 

 

「長女は常に成績がトップで、『学校の先生になりたい』という夢をずっと持っていて、周りにも語っていました。先生方もなんとかその夢を叶えようと、いろいろ調べてくださいました。銀行の貸付には保証人が2人、誓約書、自分の将来についての作文、本人の面接1時間などが必要で、審査が厳しかったです。彼女は幼稚園から高校2年生まで、無遅刻・無欠席を貫いていたので、銀行との1時間の面接も、昼食とお昼休みの時間を充てて行かせてもらいました。それでも、審査がおりるのに半年かかり、入金はその後と言われて、絶望的な気持ちになったのを覚えています」 

 

9月の新学期が始まっても学費を準備できず、10月になっても滞納が続いた。学校からは10月末に期限を区切って、退学処分もやむなしと宣告されてしまった。

 
「そんな万事休すの状態の時に、いち早く審査を通して、4月に遡及して奨学金を出してくれたのがあしなが育英会でした。本当に、ぎりぎりのタイミングで送金いただけた時は、安堵の涙が出ました。もし、退学になっていたら、娘の人生設計は大きく変わっていたと思います」(※2) 

 

※2 2019年度は高校奨学生の在学募集を年3回行っていましたが、高校奨学金制度が全額給付となった2023年度以降、年に1度となっています。

長女はクラブ活動を断念し、アルバイトで学費を稼いだ

余命宣告を受けたレイさんの父は、男手ひとりでレイさん姉妹を育ててくれた、かけがえのない存在だ。レイさんは、夫と父を支えるため、2つの病院を行き来して夢中で看病した。

 

「長女には、家族の病状について、詳しいことは話していませんでした。動揺して学校生活に影響があってはいけないと思ったからです。楽しいことがたくさんあるはずの高校生活を、看病や介護を理由に暗いものにしたくなかった、というのもあって、運動会や就学旅行などの行事と夫の手術がぶつかった日も、大丈夫、大丈夫とだけ伝えて、参加するよう背中を押しました」 

 

しかし、長女は高校の学費が払えないほど、家計がひっ迫してることを察していた。部活費や試合の遠征費用を節約するために、大好きだったテニス部も休部して、放課後の時間をアルバイトに充てた。週末や休日も働いていたため、学年トップだった成績はみるみる下がり、夏休み明けの試験では、大きく順位を落としてしまった。

 

「私は、看病に明け暮れて何か月も気づいていなかったのですが、長女は私に隠れてアルバイトを始めていました。学校は基本的にアルバイト禁止です。でも、学費滞納で退学の危機があったので、先生方も考慮くださったのでしょう、特別に許可してくださったと後から聞きました」 

 

しかし、学年の真ん中よりも下まで成績が下がった事実は大きい。さらに成績が下がるようなことがあったら、大学へ行けなくなってしまうかもしれないとレイさんは焦った。長年の夢である教師への道が、経済的な理由で閉ざされるのは、想像するだけでもいたたまれなかった。 

「できることならアルバイトはやめて、成績優秀の特待生として学費免除で大学へ行ってもらいたい、と長女に伝えました。すると彼女は『今の学費が無いのであれば、今のことを考えなくてはけないでしょ?大学の学費は大学に入った時に考えるから』と言い返してきました。17歳の娘の必死な姿を見ました。学校の先生も交えて相談し、これ以上、成績が下がったらアルバイトをやめる、という約束で、アルバイトは続けることになりました」 

 


prayer夫のために長女が作成した千羽鶴と色紙

7回危篤となり、7回蘇生した夫

夫の心筋梗塞が発見された時、心臓の壊死と右側の肥大が見つかった。肺の水を抜こうにも、肥大した心臓が邪魔をして簡単には抜けない状態だ。 

 

「心臓の機能をはかる数字に、左心室にたまった血液を1回の拍動で何%を押し出せたかを計測する心臓の駆出率(EF値)があります。一般に、正常とされているのは60~70%で、30%を切ると手術ができないほど弱っていることを示します。夫のEF値は、23%でした。心臓の手術をしようにも、どの病院も、“危険すぎる”、“死亡が予測できる”という理由から引き受けてくれませんでした」 

 

治療の継続が難しい中、医師からは「納得できないなら、転院先は自分で探して」といわれ、レイさんは奔走した。7つの病院で断られたのち、とうとう、ある大学病院が引き受けてもいいと言ってくれた。「この状態で生きているということは、相当生命力が強い方だから」というのが、引き受けてもらえた理由だった。レアケースなので、他の病院と合同チームを組んで手術が行われた。 

 

夫を見捨てずに治療してくれたことが、レイさんは嬉しかった。手術は成功し、心臓は何とか動くようになった。だが、手術室から出てきた夫は、極めて危険な状態だった。 


「生きていたことも奇跡なら、手術を乗り越えて生き続けたことも奇跡でした。4か月間の入院のあと退院できたのは、『たとえ長く生きられなくても、家族と過ごしたい、過ごさせてあげたい』という、夫と医師たちの強い気持ちからでした」 


自宅にAEDを設置して、在宅での介護が始まった。 

 

Meal photo

レイさんは、毎日夫と父親のために、温かい食事を手造りした

 

食事に気を付けて、最善を尽くしていたが、翌年には脳の4か所で脳出血が起こり、再び危篤状態に。同時に、心臓も感染性心内膜炎を発症し、敗血症も起こしていた。

 

医師は夫の病状をみて「おそらく助からないだろう」と伝えた。「助かったとしても寝たきりか植物人間状態になるから、なまじ治療しない方がいい」と説得された。レイさんが治療を懇願すると、医師は言った。

「脳出血と、心臓の不具合が一度に起こっている。両方を手術する体力はありません。どちらを手術するか、決めてください」

 

心臓を取れば脳の手術ができずに植物人間状態。脳を取れば、心臓はいつまでもつか分からない、という難しい決断を迫られた。とりあえず、脳の手術を優先し、落ち着いたところで心臓の手術をすると決めた。脳出血は何とかくいとどまったが、命の綱渡りが、この先、何年にもわたって続くことになる。 

 

「夫の危篤状態に加えて、父もガンの転移があり危ない状況になりました。頭の整理も心の準備も、何もできないまま、ただ自分にできることをしようと、その日、その日のことだけを考えて2人の介護に打ち込みました」 

医師が言う通り、夫の生命力はとても強かったといえる。夫は、最大の難局を乗り越えたばかりでなく、そこからの5年間で、7回の危篤状態に陥り、7回とも蘇生した。

「娘が先生になれたら、思いっきり泣こう」

7回の危篤のうち1回は、長女の大切な、大学受験の前日だった。レイさんを心配しながら、長女は受験会場へ向かうことになった。 

 

「受験費用もほとんど工面できなかったので、2つの大学に絞って受験しました。チャンスは2回だけでしたから、長女は泣きながら試験会場に向かいました。そんな状況にも関わらず、長女は無事合格し、念願の教育学部への進学を果たしました。あぁ、娘は強いな、すごいな、と母親ながらに感動しました」 

 

2021年は、度かさなる夫の体調不良や危篤、父親の闘病と死別、長女の大学受験が重なって、息つく暇もない年だった。 


「何度も動けなくなるほど落ち込みましたけれど、その都度、負けていられないという思いが湧いてきました。長女の存在があったから、大きな力がふりしぼれたと思います。『父も、夫も、子も、絶対に私が守る!守り抜く!』という気持ちで動いてきました。泣きたい時は、『長女が学校の先生になったら、思い切り泣こう』と決めて、頑張ってきました」 

 

長女は、大学生の時もアルバイトと学業を両立させ、2025年に、念願かなって高等学校の教師となった。 

「実際に先生になってみると、嬉しくて涙は出ませんでした。そこは思っていたのと違いましたね(笑)」 

生きることは愛 

レイさんの実父は、建築現場の職人として高い評価を受けた人だった。父の技術を学ぼうと、住み込みで働く弟子が大勢いて、多い時は10人を超える弟子たちが家族同様に、寝食を共にした。夫は、父親の弟子のひとりだった。 

 

「私たちが結婚したのは、彼が28歳で、私が23歳の時でした。夫は性格が素直で、優しくて、愛嬌があり、気が利く人でした。彼もまた腕のいい職人になりました。夫にとって父は、義父であると同時に師匠でもあったので、別の病院で治療していた父の最期を看取れなかったことは、夫にとってもショックなことでした」

今、夫は車椅子を利用して、家族と生活することができている。高次機能障害が残り、現在も目が離せない健康状態ではあるが、幾度も危機を乗り越えてきた家族にとって、夫の命はかけがえがなく、この上なく愛おしい。 

レイさんは、管理栄養士の指導に従って、限られた予算の中でカロリーや栄養素を考えた食事を、365日準備している。 管理栄養士が指定した栄養バランスとカロリーで献立をつくる 。困難な中にあっても、ままならない状況が続いても、ユーモアと笑顔を忘れずにやってきたレイさん。今日も淡々と、「いま」「ここ」に集中して、家族のためにできることをやっている。 

 

「父の命が果てようというとき、私に改まって『○○くん(夫)のことを頼むな』と伝えてくれました。最後まで愛情深い父でした。自分が父親を亡くす体験をして、とても辛かったので、長女にはまだ、父親を亡くして欲しくないな、と思ってしまいます。生きている、というのは愛そのものです」 

 

Dad's hand

看病していた父とは、よく手をつないで話をした

制度のはざまで苦しむ人の力になりたい

夫と父を看病し、今も夫の介護を続けているレイさんは、様々な場面で公的支援の必要性を感じてきた。しかし、「高等学校等就学支援金制度」やいくつかの奨学金制度など、ここぞという場面で利用できないものが多かった。

2020年には、コロナ禍での家計急変にともなう私立高校の学費免除の政策が取られ、多くの人が恩恵を受けたが、新型コロナではない病気が理由で収入がゼロになった夫は対象外。学費は丸々、レイさんたちの肩にのしかかった。レイさんはその時も、制度に突き放されたような絶望を感じた。

その後、気になって、障がい者、介護者、低所得家庭の子どもの支援について調べてみたが、締め切りや手続きの煩雑さ、案内のわかりにくさが目立ち、さらに、地域によって金額や支援内容に差があることなどもわかった。

「夫の退院後に、福祉制度を利用して背中が立ち上がる介護ベッドをリースしたいと思ったのですが、『足が悪い人専用で、あなたの夫は該当しない』と言われ借りることができませんでした。父の時にも同じ申請をしましたが、審査に時間がかかって、利用許可が届いたのは、父が亡くなった翌日でした」

日本のどこに住んでいても、いざというときに充分な助けを得られるのは重要なことだ、と感じている。

「何度も、困り果てた時に必要な支援が受けられなかった当事者ですから、制度の改善を議員さんに訴えるなどして、『声をあげていく』ことを意識しています。今はまだ、漠然とですが、将来的は、同じような思いをしている女性を支援する活動ができたらいいなと、考えています」


(インタビュー 田上菜奈)

 

投稿者

田上 菜奈

あしなが育英会では、会長室、アフリカ事業部100年構想を経て、現在は「保護者相談室」に所属。保護者からの相談の受付や保護者向け講演会の開催などに携わる。「保護者インタビューまなざし」をはじめ、いくつかのインタビュー記事を執筆している。

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